やりたいことをやるということは、自分の至らない点と直面せざるを得ないしんどいことでもある
やりたいことをやるということって、とても聞こえがいいように感じます。
やりたいことをやれる自由がその人にはある。やりたいことができる時間や経済的な余裕が無いとできないよ、と感じる方も多いのではないでしょうか。
そもそもやりたいことがある人って、自分が何をしたいのか分かっていないと出来ないことです。
やりたいことが無い人、あるいは何をやりたいのかが分からないという人にとっては、やりたいことをやってる人が羨ましくも見える・・・
少なくとも、私はそうでした。
私自身の話をすると、私は周囲の目を気にして、自分のやりたいことを抑えつける傾向があります。
自分がやりたいことや思ったことよりも、周囲の意見であったり、空気を読んでしまい、周囲を優先するということを繰り返してきました。
優等生という訳ではないけれど、空気を乱さない大人しい人間で、私を扱い易いと思っている人も多かったのではないかと思います。
しかし私の場合、それをやりすぎたが為に、自分を抑えすぎてしまい、自分が何をどう感じているのかが分からなくなってしまった時期がありました。
自分が確かに抱いている感情や考えはあるのだけれど、それが周囲から見た時に、正しいことだと思えず、自分の感情や考えを否定し続けていました。
そのため、自分を表現しない人間になり、扱い易い面もあった一方で「あの人は何を考えてるのか分からないよねー」と裏で言われていたこともあります。
社会人になるまではそれでも生きていけました。しかし、自分自身の全てのことを、自分で考え自分で行動し、その責任を自分で取るという状況の中では、今までの生き方では太刀打ちできなくなっていました。
社会人になると自由になります。雇用形態から、業界、業種、会社など、自分がどこで働くのかも自由に決められます。
また、経済的にも自立できることによって、プライベートも全て自分の好きなように決められます。
例えば、家事をやるのかやらないのかから、結婚するのかしないのか、お金をどう使うのか、などです。自由ということは、全て自分で決めないといけない、ということでもあります。
そのため、自分で考え、行動をするということをあまりしてこなかった私にとっては、社会人になってから、とても生きづらさを感じるようになりました。
何となく、今の会社は辞めたいんだけど、辞めて何がしたいのか分からないから辞められない、そんな日々が続きました。
つまり、自分のやりたいことが分からず、迷走する状態に陥りました。
しかし、そのときの私は、「行動をしないと何も変わらない」ということと、「やりたいことは、行動し続けない限り見えてこない」ということが分かっていませんでした。やりたいことも分からない癖に、言い訳をして行動することを避けていたのです。
やりたいことをやっている人は、最初からやりたことが分かっているはずだ、だけどそれが無い自分にはやりたいことが無いんじゃないかと思い込んでいました。
しかし、以前記事にも書きましたが、私自身の口癖を意識するようになってから、頭の中では私はやりたいことが浮かんでいるにも関わらず、自動的に「でも〜だから出来ないよ」とやらない言い訳をしていたことに気がつきました。
つまり、言い訳をしなければ、やりたいことがどんどん見つかるのではないかと思い始めました。
その結果、少しでも頭に浮かんだやりたいことを、片っ端からやるようになりました。不思議なことに、やりたいと思ったことをやると、さらに別のやりたいことが次々と浮かんでくるのです。
私はまだ自分の人生をかけたやりたいことは見つかってはいませんが、やりたいと思ったことをひたすらすれば、いつか本当にやりたいと思うことが見つかるのではないかと思っています。自分でも楽しみです。
しかし、やりたいことをやるということは、楽しい反面、しんどくもあります。
自分が望んだ結果になればいいのですが、望まない結果になってもそれを自分の責任として受け止めないといけない。
望まない結果になった事に対し、言い訳はできないのです。また、やりたいことというのは、今の自分ができないことだったりします。
例えば、英語が話せないけれど、話せるようになりたい、など。その場合、やりたいことではあるのだけれど、出来ない自分であったり、自分の欠点や至らない点に直面させられることも多々あります。
頭の中の自分はもっとできると思っていたのに、実際に行動すると全然できない現実の自分にがっかりすることもあります。そういった意味で、楽しくもあり、しんどくもあります。
しかし、そのフェーズを乗り越えないと、本当に自分のやりたいことは見えて来ないはずだ、そう想いながら毎日ひたすらやりたいことを追いかけるのも、楽しいです。めまぐるしい日々ではありますが・・・・